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もう一つの戦い [ボクシング]

 

単純に言えば、ボクシングとは1対1で殴り合うスポーツである。

対戦相手と戦い、そして勝利する者が、栄光を勝ち取るのである。

でも、その栄光の陰でボクサーは、

相手と戦う前に「自分との戦い」をしなくてはなりません。

時には厳しいトレーニング、時には減量、そして怪我と・・・

 

       5666199.jpg 

元世界フライ級 ・ WBA世界フライ級チャンピオン 海老原 博幸

彼は自らのパンチ力に泣いた、悲運のチャンピオンでした。

 

パンチの強いボクサーを、俗に 「ハードパンチャー」 と言います。

そのパンチの質には2種類あって、

重くて体の芯にダメージが残るものと、

一瞬にして意識を刈り取るものとあるそうです。 

海老原の場合、「カミソリ」 と言われる位に

                     鋭くキレる」 パンチだったようです。

これはもう、持って生まれたもので、

いくら努力をしたところで手に入れることは出来ません。

このパンチを打てること自体、彼が天才」と言われる由縁なのです。

 

でも皮肉な事に、この「資質」が彼を苦しめるのです。

あまりのパンチ力に、

自分の拳の骨が耐えられなかったのです!

 

 10037576468.jpg

 

日本人最多の66勝を上げ、世界チャンピオンに2度なった男は、

利き腕である左拳の怪我で、

      世界タイトルを1度も防衛出来なかった。

現役時代7回の骨折をしたといわれるが、その為に涙を呑んだ事でしょう。

 

でもファンは、あの「カミソリパンチ」を忘れない。

初の世界戦で、チャンピオンを たった1ラウンドで

切って落としたあの切れ味は、

日本ボクシング史に

刻まれるべき出来事なのです。

出来ればリアルタイムで見たかったなぁ。

彼は私が7歳の頃に引退し、残念ながらすでに他界されている・・・


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ライバル [ボクシング]

 

日本のボクシングを語る上で、この男の名前を外す事は出来ない。

 6755996.jpg 元世界フライ級 ・ バンタム級チャンピオン

                ファイティング原田

 

日本人で唯一「ボクシングの殿堂入り」を果たした、

世界に誇る屈強なファイターであり、

最も偉大な日本人ボクサーと、

世界が認める人なのだ。

現在、日本ボクシング協会の会長を務められている。

1回目の世界チャンピオンになったのは私が生まれる前、

現役を引退されたのは私が7歳の時だから、

残念ながらリアルタイムで見たことはない。

 

彼を世界的に有名にしたのは、一人の男の存在があったからだ。

 jofle.jpg このハンサムボーイが、

当時「黄金のバンタム」と呼ばれ、今尚バンタム級史上最強のボクサー

と言われる、エデル ジョフレ である。

後にフェザー級でもチャンピオンになった彼は、

生涯戦績75戦69勝(48KO)で、たった2敗しかしていない。 

しかし、この2敗はいずれも

ファイティング原田によって付けられたものなのだ。

このジョフレに勝った唯一のボクサーと言う事が、

原田を世界的にメジャーにしたと言っても過言ではない。

 

そしてもう一人、原田を強くした男がいる。

 Medel,Joe.jpg 「ロープ際の魔術師」と言われ、

バンタム級チャンピオンになる前の原田にKO勝ちした、

ジョー メデル だ。 このメデルが結果的に、

原田に世界のレベルを教え、反骨精神をあおり、

世界チャンピオンにまで導いた立役者と言っていいだろう。

 

スポーツなどの競技事には、本人の強い意志や、それをサポートする家族や

コーチ・トレーナーの存在は欠かせないが、

同じようにライバルの存在が

大きな影響を与えるものだ。

「アイツだけには負けたくない!」 「今に見ていろ・・・」

この気持ちが本人を奮い立たせ、強くしていくのだ。

全力で競ってこそお互いの力を伸ばし、

ファンに感動を与えられる名選手になるのである。

バンタム級最強と賞される、ジョフレ

そのジョフレを倒し、世界に名を轟かした原田

チャンピオンにはなれなかったが、

この2人に勝るとも劣らなかった、テクニシャンのメデル

この3人は、ボクシングというスポーツにおいて

当時最高の

パフォーマンスを演じた、

素晴らしいライバル同士

だったのだ。

           

         10011452101.jpg

若干19歳。 しかもピンチヒッターでの初挑戦で見事フライ級の頂点を

極めたシンデレラボーイは、その真価をバンタム級で発揮した。

VTRで当時の試合を見た時の感想は、

「強いな~~・・・」 これしか出てこない。

決して上手いボクサーではないが、

前に出る圧力と圧倒的な手数が驚異的だ。 

当時のニックネームは、「狂った風車」。

打って打って、打ちまくるそのファイトスタイルは、

圧巻の一言に尽きる。


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奇跡を起こした男 [ボクシング]

 

そう、彼が現れるまで、

日本ボクシング界にとってこのベルトは、雲の上の存在だった。

  元WBA世界ミドル級チャンピオン

                  竹原 慎二

彼は、日本人で唯一ミドル級のベルトを巻いた男なのです。

このミドル級は、特に欧米人の体格に合ったクラスで、

日本を初めとするアジア圏では、オーストラリアを除いて体格的に

非常に難しいクラスなのです。 事実日本ランキングでは、

他のクラスはチャンピオンから第10位までの選手が揃っているのに、

ミドル級では 6~7人 いれば良い方なのです・・・

 (ちなみに、日本ではミドル級が最も重い階級で、

       それよりも重いライトヘビー級・ヘビー級はありません。)

 

竹原が世界戦をやると聞いて勝利を確信する人は、

誰もいなかったといっても過言ではないでしょう。 

なぜなら、それまでのミドル級の歴史で、アジア圏からのチャンピオンは

   一人もいなかったのですから。


  

 

でも彼は、怪物チャンピオンからボディブローでダウンを奪い、

明らかな判定で勝利をもぎ取りました。

これは、日本ボクシングの歴史に残る快挙 でした。

それまで日本人には無理だと言われていたミドル級の厚い壁を、

竹原慎二が見事乗り越えて見せたのです。 

ミドル級までのベルトなら日本人でも取れる

と、彼は身をもって証明した事になります。

一番軽いミニマム級~ミドル級までの間で、未だ世界チャンピオンが

誕生していないのは ウェルター級 だけになりました。 

この階級に、竹原のような歴史を覆してくれるボクサーが現れるのを、

私は待ちたいと思います。


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カリスマの行方 [ボクシング]

  

      

元WBCバンタム級チャンピオン

  辰吉 丈一郎 

        彼はいったい、どこへ行こうとしているのだろう・・・

 

90年代のボクシング界を大いに盛り上げたこの男の登場は、

     実にセンセーションだった!! 

 モハメド アリのようなビッグマウス叩き、

             試合中には相手ボクサーを挑発をする! 

今まで居なかったタイプのボクサーの出現に、

ファンはその言動に一喜一憂したものだ。

プロデビュー後、わずか8戦目で世界チャンピオンになるという、

日本人最短の記録を作り、

  その存在はますます大きくなっていった・・・

 

しかし、この後の彼のボクシング人生は、苦難の連続だ。

度重なる網膜はく離でチャンピオンから陥落。

薬師寺との世紀のビッグマッチに破れ、

その後2度の世界挑戦にも惨敗・・・

「限界説」も専門家の中では唱えられるようになる。

しかし、その人気は衰える事はなかった。

彼には信念があった。 

 「プロである以上、

        お客さんを喜ばせなあかん。」 

ファンにはこの事がよく分かっていたのだろう。

そして様々な困難を乗り越え、

4度目の挑戦で再び世界チャンピオンに返り咲いて、

 彼はファンに

      恩返しをするのである。

 

     

 

この彼の信念が、後に悲しい結末を呼ぶ事となってしまう。

「辰吉」を操縦出来るトレーナーが居なかった事も悲劇だった。

足を使ってポイントを取り、勝負に徹すれば

        息の長いチャンピオンになっていたかもしれない。

だが、彼はファンが喜ぶ乱打戦をし、

         K,O,で勝つ事 に拘った。

 

その後、2度目のチャンピオンの座からの転落。

リベンジにも失敗し、引退宣言をしたが、その後撤回。 

  また世界チャンピオンを目指すという・・・

これ以降の彼の試合を、私は辛すぎてまともに見れなかった。 

 なぜなら、「パンチ ドランカー」の症状が

                   明らかに出ていたからだ。

彼は今現在も引退をしていないが、

この症状が公になった以上、試合を組ませるジムはない。

 

私の考えで恐縮だが・・・

辰吉丈一郎のボクサーのピークは、

やはり、8戦目で世界チャンピオンになって、

リング上で飛び上がっている、

         あの瞬間だったのかもしれない。


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天性の素質 [ボクシング]

 

同じウェイト(体重)で対戦をするボクシングですが、

体重が同じでも、体格や得意なものは選手それぞれです。

リーチ(腕の長さ)が長い選手と、がっしりした体形の選手とでは、

おのずと戦い方が違ってきます。

同じように、持って生まれた素質もまた、選手それぞれ違うのです。

ある者は無類のハードパンチある者は並外れた反射神経

またある者は無尽蔵なスタミナ・・・

自分の持って生まれた能力に気づき、使いこなせる事が、

強くなる為には必要なのです。

 

     

 元WBCスーパーフライ級チャンピオン

  徳山昌守(まさもり) には、

    自分の距離で戦える能力 が備わっていたのです。

 

ボクサーには、自分のパンチが当たる距離というのがあるそうです。

個々に微妙に違っていて、1~2cmズレただけで

パンチが当たらなくなるんだそうです。(驚

試合中にボクサーがパンチを出さずに向かい合っているのは、

自分の体力配分や相手の出方を探ったり、攻撃の組み立てを考えたり

する他に、お互いの距離の探り合いをやっているのです。

それほど 距離感 とは、試合を左右する大切なものなのです。

 

徳山昌守には、

1発で相手を倒せるパンチ力はありません。

ずば抜けたテクニシャンでもありません。

スタミナもある方ではありません。 

                   (本人さん、ごめんなさい。

しかし、それを補って余りある、

    自分の距離感 で戦えるという、

      素晴らしい武器 がありました。

 

対戦相手から見れば、嫌でしょうね。

自分の距離で戦えない・・・というのは、非常にやり難い事なんです。

相手のパンチは当たるのに、自分のパンチは当たらない。 

思うように戦えず、試合のペースがつかめない。 イライラする。

・・・で、負けてしまうのですから・・・

 

いくら強いパンチを持っていても、相手に当たらなければ勝てません。

強力なパンチでなくても正確に当ててポイントを重ねれば、

判定勝ち出来るのがボクシングというスポーツなのです。

見た目の派手さや力強さは感じないでしょうが、

相手の距離感を潰し、自分のボクシングが出来るように

試合をコントロールしていくのも、強さの一つなのです。

王座防衛8回が、それを証明しています。

                          

彼は北朝鮮籍の日本のジムに所属するボクサーでした。 

チャンピオンとして「敵地韓国」で行われたタイトルマッチで

見事K,O,勝ちした試合が、私の記憶に刻まれています。 

「祖国統一」を切望する彼にとって、

この試合はとても大きな意味があったでしょう。

ボクシングに限らず、

特別な思いを背負って戦うアスリートは、世界中にいるのでしょうね。


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「拳聖」と呼ばれた男 [ボクシング]

 

その昔・・・ボクシングが 「拳闘」 と呼ばれていた昭和初期、

一人のボクサーが人気を集めておりました・・・

 

元東洋フェザー級チャンピオン

                ピストン堀口

    

 その男は 「拳聖」 と呼ばれ、

当時最も人気実力を兼ね備えたボクサーでした。

もしかしたら、太平洋戦争がなければ、

世界チャンピオンになっていたかも知れません・・・

もっともその頃の 「日本の拳闘界」 では、

世界チャンピオンなんて雲の上の存在で、

そんなものになれるなんて誰も夢にも思わなかったのですが・・・

 

相手をロープに追い込んで、左右のフックを叩き続けるのが、

彼のファイトスタイルだったようです。

彼のリングネームは、その休む事のない連打が

車のエンジンの「ピストン」 のようだと、

ファンから付けられたニックネームでした。

打たれても打たれても決して後ろに下がらない

「ブルファイター」 が人気だった当時、

今のように足を使って相手の攻撃をかわし、

チャンスに得意のパンチを叩きつける 「アウトボクサー」 などは、

「逃げる卑怯者」 と罵声を浴びる時代でした。

相手のパンチを恐れずに、正面から堂々と打ち合う試合を

当時のファンもボクサーも好んだのです。

 

でもこの戦法は、とても怖いのです。

打たれても倒れない「タフネス」

ダウンしても何回でも立ち上がる「ど根性」は、

確かに見る者を魅了し、歓喜を呼びます。

しかしそのダメージは、

ボクサーの体や脳を着実に壊していくのです。

「ディフェンスの重要性」より「根性論」が重要視され、

当時はボクサーの健康管理も成されていなかったようです。

 

現代ボクシングでは、選手の健康管理が徹底されていて、

試合が終わると必ず医師の精密検査を受けますし、

次の試合まで2~3ヶ月は空けて、体を休めるものです。

しかし、当時は

5~6日間隔で試合したり、

            時には翌日だったり・・・

ピストン堀口も例外ではなく、

1日に4試合したという

         話があるほどです!

 

人気ボクサーは試合も多かったでしょうし、

選手生命よりも長く戦い続けなければなりませんでした。

引退した半年後の1950年、彼は列車に跳ねられこの世を去ります。

おそらく「パンチの後遺症」を負っていたはずです・・・

   

 流石の 「拳聖」 も、年蓄積された

       ダメージには勝てなかったのです。

 

彼が死んだ二年後、アメリカのカーン博士の指導の下、

日本人初の世界チャンピオンになった白井義男は、

「卑怯者」と言われていた 「アウトボクサー」 でした。

時代は 「拳闘」 から

      「ボクシング」 へと移り変わったのです・・・


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セコンドの力 [ボクシング]

 

ボクシングは、1対1で対戦するスポーツです。

でも、リングに上がったボクサーは、

決して一人で戦っているのではありません。

「セコンド」 と呼ばれる最低3人の人達が、

「コーナー」 で同じように戦っているのです。

 

この3人は、怪我の応急処置を行う 「カットマン」

氷や水などを用意し、いろいろな雑用をする人。

そして、戦い方を指示する 「トレーナー」 などです。

 

ボクシングは1ラウンド3分、

インターバルは1分と決められています。

その限られた休憩の時間内で

ボクサーの傷を癒し、作戦を的確に指示し、

次のラウンドで戦えるようにしなくてはなりません。

当然、試合前にはどうやったら勝てるか作戦を練って、

リングに上がっているのですが、

相手だって同じように作戦を立てきます。 

思い通りに事が運ぶなんて、まず無いのです。

 

よくボクサーは 「F1マシン」

         トレーナーは 「ドライバー」

                       に例えられます。 

 

どんなに高性能な「マシン」でも、

それを操作出来る「ドライバー」がいなければ、

試合に勝つことも、世界チャンピオンになることも出来ないのです。

 

戦っているボクサーは、気負ったり、弱気になったり、

今の状況が分からなくなったりします。

そんな時に、戦い方をアドバイスし、時に励まし、

時に落ち着かせて勝利に導いてくれる

信頼できるセコンド がいれば、

ボクサーは安心して、思う存分戦えるのです。

 

   

 

試合を見れば分かると思いますが、

勝ったボクサーと一緒になって

セコンド陣が拳を上げて喜んでいますね。 

試合に勝つために、辛い練習をし、知恵を絞って作戦を考え、

ベストコンディションでリングに上がれるように調整する。

選手とセコンドが一丸となって

勝利を目指すからこそ、

皆で喜びを分かち合えるのです。

 

過去の名チャンピオン、名ボクサーと言われた人達の後ろには、

安心して全てを任せられる

「素晴らしいセコンド陣」 と、

そのボクサーと対等以上の渡り合える

「名トレーナー」 必ずいるものです・・・   


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ディフェンスの勝利 [ボクシング]

 

K,O,は、ボクシングの華です。

相手を倒して勝ち誇るボクサーは、やっぱりカッコイイ。 

しかし、

K,O,だけが 

     ボクシングではありません。

 

元WBCジュニアバンタム級チャンピオン

  川島 敦志(ひろし) は、

卓越したディフェンス力」 で世界の頂点に立った男です。

 

相手に攻撃をする事を「オフェンス」と言います。

相手にパンチが当たらなければ、倒す事は出来ませんが、

自分のパンチが当たると言う事は、相手のパンチも当たるのです。

同じ人間ですから、手の長さは極端な違いなんか無いのです。

そこで、相手の攻撃を防ぐ「ディフェンス」大事になってくる訳です。

 

相手のパンチを防いで、

自分のパンチだけを当てるのですから、相手はたまりません。 

まるで闘牛のマタドールのような華麗な試合を見ていたファンが

付けたニックネームは、

   「アンタッチャブル」。

彼が相手のパンチをかわす度に、観客が歓声を上げるのです!

ディフェンスでここまで観客を湧かせるボクサーを、

私は彼しか知りません。 

 

でも、この「ディフェンス力」は、最初からあった訳ではありません。

2度のK,O,負け・・・ という辛い経験から、

努力を重ねて作り上げたものなのです。

この事を知っているからなのでしょうか? 

私は今でも、

川島 敦志というボクサーが好きなのです


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不完全燃焼 [ボクシング]

 

現在、JBC(日本ボクシング コミッション)では、

2つの組織を「世界団体」として正式に認定しています。

1921年に創立されたNBA(米国ボクシング協会)の流れを汲む、

    WBA(世界ボクシング協会) と 

1965年にWBAから分離独立した

    WBC(世界ボクシング評議会) です。

 

そんな日本ボクシング界の夢は、

日本人が未だ成し遂げられていない 3階級征派と、

この2団体の 統一チャンピオン です。

しかし、過去に事実上WBA/WBCの

統一チャンピオンになった男が1人だけいました。

 

             

元WBA・WBC ジュニアバンタム級チャンピオン

             渡辺 二郎 がそうです。 

 

WBAのタイトルを6度防衛していた彼は、

当時のWBCのチャンピオンと統一戦をやる運びだったのですが、

WBA側がこれを認めず、無視する形で試合をしたために、

チャンピオンベルトを剥奪されます。 結果、試合には勝って

WBCのベルトは腰に巻いたのですが、統一チャンピオンとは

認定されていないのです。 その後、彼はWBCでも4度防衛、

            計10度の防衛を果たします。

 

彼は一言でいうと 「策士」。 

対戦相手を徹底的に分析、どうしたら自分のリスクは少なく、

相手に大きいダメージを与えられるか計算をします。

そして、自分の計算通りに試合を運んでいたように思います。

彼は右利きでしたが、わざとサウスポースタイルで戦っていました。

これも彼の作戦だったのでしょう。 しかし、あまりにもクレバー過ぎて、

 

闘志溢れる・・・とか、

   何がなんでも勝つ!・・・とか、

                逆転勝利・・・とか、

 

心を揺さぶられる熱いファイトはあまり記憶にありません。

記録を見る限り、素晴らしいボクサーだった事は認める所ですが、

 

ひょっとしたら、渡辺二郎の

本当の潜在能力 を見た人は、

誰一人いなかったのではないかと思うのです。

 

彼自身も、

ボクシングに完全燃焼して

         引退をしていったのでしょうか?

2000年に「銃刀法違反」で逮捕されている事から考えると、

私にはそうは思えないのですが・・・

 


 

追記

この記事を投稿する今日になって、

渡辺二郎が6/4に「証人威迫容疑」で逮捕・釈放、

6/30に「恐喝」で再逮捕されていたのを知りました。

ボクシングファンとしては、なんともいえない気持ちであります。


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ペレストロイカの風 [ボクシング]

 

 

ロシアの民主化政策に伴って、日本のジムにやってきたこの男は、

まさにペレストロイカが運んできた「風」でした。

 

元WBCフライ級チャンピオン 

   勇利(ユーリ) アルバチャコフ は、

「旧共産圏」初の、プロボクシングの世界チャンピオンになった男です。

それまでの「ソ連」には、

いわゆる プロボクサー と呼ばれる職業はありませんでした。

その代わり、アマチュアの世界では何人ものチャンピオンを

排出するほどレベルが高く、人気のスポーツ だったのです。

 

勇利のボクシングは、

マチュア仕込の精密機械のような綺麗なボクシングでした。

ジャブからワン・ツーの、オーソドックスなスタイルです。

 

   

 

その代わり、右の拳は

  目に見えないくらい早かった!

タイトルを 9度 も防衛出来たのは、武器の右ストレートはもちろん、

ボクサーとしての基本動作が

   高いレベルで備わっていたからでしょう。

 

今は日本人の奥さんと日本に暮らし、後進の指導をしていると聞きます。

ボクシングの基本をしっかり出来る強いボクサーを

一人でも多く育てていって欲しいものです。


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